2015年05月31日

今月のまとめ

5月ももう終わり。

GWがあったせいか、新しい企画に携わったせいか、
とにかくあっという間だったような気がする。
同時に、ひどくゆっくりとした時間だった。
相変わらず時計が二つ、ボクの中で時を刻んでいる。

沢山本や資料を読んだ。
結構な量の文字と文章を書いた。
パンチェッタを作った。
知人からお礼にお酒をもらった。
何回も花の絵を描いた。
CD「花の記憶」が完成した。
フライやーデザインの打合せした。
ビアガーデンに行った。
10月の公演「Q&A」の情報が解禁になった。
部屋の模様替えをした。
ピクニックには行けなかった。
観たかった映画がまだ観れてない。
作らなきゃいけない物が溜まってきた。
観たかった舞台を観に行った。
観たかったけど観れない舞台もあった。
映像用のプロットをあげた。
写真用に衣装を描いた。
二つ、仕事を完了出来て、一つ予定より遅れている。
文化芸術振興の会議に出た。
腹の立つこともあったし嬉しいこともあった。
遠い月に手を伸ばしたその先で、ほんのわずかでも、触れることが出来た。
それだけで、昼日中に焼かれた肌が癒される気がした。


来月はどんなになるだろう。

posted by 中神謙一 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

物語る時

望む、望まないにかかわらず、物語は生まれ続ける。

それがあなたにとって良いものであるかは別として。
それをボクが書きたいと思うかは別にして。


物語る時、ボクは一つのただの機械であればいいのに、と思う。
己はなく、躊躇いも逡巡もなく、ただ滔々と物語る一つの機械、あるいは器官であれればいいのに、と思う。



例えばそれは。
靄のように、あるいは雲のようにゆらゆらとしている物語を、
目に見える形に織り上げていくような作業だったりする。
織り上げていく時に、自分の心の動きや想い、その時々のコンディションなんかが一緒に織り込まれていく時がある。哀しい物語に織り込まれれば、身を切るような痛みを感じるし、恐怖する物語ならば、息が出来ないほど苦しい重さを感じる。

例えばそれは。
どこか遠い貯水池から強制的に送られてくる水のように、
自分の中の蛇口からあふれ出してくる物だったりする。
そしてその蛇口を捻って流れを止めることは、ボク自身には出来ない。
ただ、溢れてくる水を、速やかに、濁らさずにかきだしてやらねばならない。
休む間もなく。溺れてしまわないように。
冷たい水が手足を凍えさせ、青紫に染めていくとしても。
その指先の震えが、水を零してしまうことを恐れながらも。

物語る、というのはそういうものなのだ。
根本的には変わらない。
ボクはただ、そこにあるものを少しだけ違う形にしているだけだ。
そこに己はない方がいいなじゃないかとずっと思っている。
そこにボクが混ざってしまうことが―いいことなのか、迷ってしまう。

それでもまだ、ボクは物語を書いている。
誰かに届けるような気持ちになっている。
誰かに届いているかはわからないけれど。

ボクが語る物語を、いつかこの世界のどこかで、誰かが。
そしてあなたが読んでくれる日がくるといいのだけれど。


posted by 中神謙一 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記