2016年04月28日

退屈しのぎ。

悪い癖。すぐ退屈って思ってしまう。
一時は、そんなことなかったんだけどな。

色彩の欠けた世界は、どうにも退屈で、だからそこに無理やり色を乗せるように、色々仕事を詰め込んだり、予定をいれたりする。
極彩色の世界を作ろうとする。
やることいっぱい!脇目もふらずって思っても、それでも、ふとした時に退屈だと思ってしまう。

詰め込んでたいくつかの締め切りが同時期に終わったせいかもしれない。
単に、集中力がないせいかもしれない。
とにかく、とにかく。


退屈しのぎに、お菓子を作りました。
今までお菓子とかはほとんど作んなかったんだけど、なんとなく。
フォンダンショコラとか、型無しタルトを焼きました。
美味しくて簡単で高カロリー。おすすめ。でもすっごいバターいれるのね、こういうの。
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退屈しのぎに、竜を作りました。
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や、何に使うってわけでもないんだけど。
まぁ何となく。
ボディも作ろうかな。ぬいぐるみみたいに。
昔、こどもミュージカルの小道具でナマズを作ったの思い出した。



アンデッド期。
夜が長い。だから一日が長い。
夜は静かで、ソファーでだらだらとしていると、なんだかゴンドラに乗って流されているような気分になる。
物語の中で、ゴンドラは夜の川を滑るように進んでいくのだ。
そしてボクは、抱えた膝の上にあごを乗せ、死神を眺める姫君の姿を想像する。
不思議とその時間は退屈に感じない。


新しい脚本のことももちろん考えているけれど、
思いついた企画のことを考えている。
人に相談したりしながら、その中身や形や動かし方を考えている。
偽善でも思いつきでも退屈しのぎでもいいじゃないか、と開き直ってみる。
心がゆらゆらとしている。
もう、揺れるのはそれだけで十分間に合っているんだ。



次は、意味について考えたこと。
posted by 中神謙一 at 12:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2016年04月17日

風景。

とりとめもない、雑記帳のようになってきた。
最近はオンタイムで書けないこともあったりして、時系列がバラバラだったりもする。
いっそお題をもらって書いてみるのもいいかもしれない。
そんな事を考えたりする。

   *   *   *   *

見たこともないはずの風景が、頭の中に浮かんで、それを文章や絵にしていくと、
(もっとも、それを書き記す自分の術が余りに拙くて、げんなりしてしまうことも多いけれど)
もしかしたらそれはこの世界のどこかに実在するんじゃないか?
なんて思えて来たりする。
それが存在するならば、探しに行きたい。
観に行きたいと思う。


同じ空間の中でも、客席から観る舞台と、舞台から観る客席は全く違うし、
街並みだって、夜の森の中だって、一人で見る、誰かと見る、幸せな気分で見る、悲しい気分で見る、そんなことできっとその風景はがらりと色を変えるんだろうと思う。

同じ風景が、まったく違うものに見えたりする。
当たり前だと言えば当たり前だし、この上なく不思議だと思う。

   *   *   *   *

ある、夜、帰り道のこと。
ボクが家まで歩く、その道の先に、薄くて細い三日月が浮かんでいた。
もちろん、いくつかの角を曲がり、ちょっとした坂を登ったり、建物の陰に隠れたりはするけれど、また角を曲がれば、すっと伸びたまっすぐの道、その延長線上に三日月は現れる。
それをボクはとても美しいと思う。愛しいと思う。
そう感じるのは、自分だけなんだろうか、と不思議に思う。

その三日月に向かって歩いていくのだ。
そのまま歩いていけたらいいのに。
そういう風景を、そこに感じた気持ちを、もっと書き記せたらと思う。

風景の中に、そう見えているという自分の姿を見ている。


   *   *   *   *

次は「退屈しのぎ」のこと。

posted by 中神謙一 at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年04月13日

直観のこと。

直観のこと。
直観というのは思いつきやヒラメキとは、似ているけれどちょっとだけ違う、と思っている。
上手く言えないけど、それは何かの――啓示に近い気がする。

ボクが物語を書く時のほとんどは思いつきだ。
それはただ、そこにあるものを見つけるに近い感覚なので、
直観とは少し違う。
でも、物語のタイトルに関しては「直観」に近い。

ぼんやりとしていた何かが、名前を与えられて特別になる。
確固とした存在になる。
それは啓示であり、ボクがそれに与える洗礼であり、祝福であり、あるいは呪いでもある――と思ったりする。
不思議なもので、名を与えられ、名を呼ぶと、それはそれとして動き始める。
命を得る。そこにはそれがボクの物だという、わずかばかりの自負もある。

未発表の(未完でもあるけど)R99という物語は、そのタイトルを与えられてから、単なるロードムービー的な物語からそこにファンタジーの要素を色濃く上乗せしていった。(書き上げなくちゃな)
そう決まっていたことのように。
あるいは水を得た魚のように、今では、それがあるべき姿だったかのように見える。


直観のこと。
直観的に、これをやってみよう、と思ったことは割とやってきた気がする。
誰かに相談することはあるけれど、それは基本としてやるための相談で、
やるかどうかの相談ではない。
あれもこれもと望むには、確かに人生は短すぎる。
けれどただ座って終わりを待つには長すぎる。
砂時計の残りが僅かであっても、落ちるのを眺めて過ごすには、長すぎる気がする。
だから会いたい人に会いたい。
やりたいことをやりたい。
叶わないことも沢山あるけれど。


直観のこと。
直観的に好きとか嫌いとか、いいとか悪いとか感じる時がある。
きっと誰だってそうでしょうけど。
もちろん長い時間をかけて、好きになったり、
好きだったものがそうでなくなっていったりすることも(あるいはその逆も)ある。
誰だってそうでしょうけど。

でもボクは、嫌いになることはあまりないような気がする。
好きになることが少ないからかもしれないけど――好きなものを嫌いになるのは、好きになった分まで嫌いになるみたいで、損したみたいな気分になる。したくないなって思う。



名前を呼びたい。
会いたい人に会いたい。
好きなものを好きでいたい。


そう思う。
直観として。


次は「風景」のこと。
posted by 中神謙一 at 14:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年04月06日

サクラサク。

満開の桜よりも、少し散り始めた桜が好きです。

数年前に偶然見つけた桜の木。
1本だけ生えている、大きな木。

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初めて見た時に、立派な枝が空を覆っていて、その隙間から見える空とのコントラストに見とれました。
去年もここで撮った。
その前は、どうだっただろう?


2016年になって、もう桜が咲いて、桜が散り始める。
若葉を覗かせているものある。
もう、そんな時期なんだな。
ここ最近、ちょっと時間の流れに疎くなっていた。最近はLIVEとしての時間より、物語の中の時間にいることの方が多くて、今は夏の日差しが頭の中にずっとある。強い草の匂いと、蜜水の冷たい感触がある。

3月までに書いていた文章を読み返し、加筆したり、削ったりをしている。
その作業の続き、物語の最後に「了」の一文字を記すための作業は、まだもう少し先の話になりそう。

自分が書いたものを、他人が書いた物のように読むには、距離が必要だ。
その距離は時間的なものだったり、物理的なものだったり色々だけれど、一旦、物語とそのための距離を、少しだけ、とる。あまり離れすぎないように気を付けながら。
普段は、〆切や稽古始めの日程など決まっていることが多いので、ギリギリになるとそういう時間を取ることも出来ないでいるけれど。
今、そういう、贅沢な時間を使っている。

まぁ、その間は、他の物を書くんだけど。

桜の木の下で、空を見上げていると、
何かを思い出しそうになったのに、
結局思い出せなかった。
あれは何のことだっただろう。

人のいない一本だけの桜。
ここでゆっくり花見をしたいな、と思った。
美味しい物をもって。
何か作ってみようか、と思う。


井戸の底にいても、聞こえてくるものはある。
底まで舞い込む花びらもある。
今年も沢山の桜が咲いた。
散った花もあったのだろうけれど、ボクの知る限りは沢山の桜が咲いたようだ。


サクラサク。


散る前にもう一度観に行けるかな。




次は、「直観」のこと。
posted by 中神謙一 at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年04月01日

あなたのことが嫌いです。

「あなたのことが嫌いです。」
なんて――言葉が、2016年に入って最初のブログの更新。

   *   *   *   *   *

1990年の今日、遊園地豊島園の新聞全面広告。
大きく目を引くキャッチコピーは「史上最低の遊園地 TOSHIMAEN」だった。
不機嫌そうなコドモ、来るんじゃなかった!と頭を抱える父親、いらだつ母親(?)の写真。
その後ろに様々な乗り物が映り、人々は口ぐちにその不満を叫んでいる。

一番下に「今日は4月1日です。」の一文。

ボクはそれを授業の資料で見たんだけけど、とても印象に残っていて、同時にすごいなあ、と思ったのを憶えている。
エイプリルフール、その日の新聞広告だからこそ、その全てが嘘ですよ、本当の豊島園はこの反対なんですよ、というジョーク。
そこまでちゃんと届けるための手段。そのメッセージを送る方法。

このプランを出した方も、それにOKを出した豊島園もすごいと思う。
凄い勇気だ。そしてすごい信頼だ。
ボクも、その顰に倣いたいと思う。
滑稽であっても。

言葉は、届かなきゃ意味がないのだろう。
発しなきゃ言葉は音にならないし、
音にならなきゃ届きはしないし、
届かなくちゃ響きはしない。
それでも。あるいは。だから。
ボクは言葉を書き記していく。
何万も、何十万もの文字を、言葉を。
時に、嘘を交えながら。
だって、ボクが他にできることなんてないんだ。

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この間見つけた、まるでこの魔女が出てきそうな風景。
世界はファンタジーに溢れているように見える。


〆切明けの、インターバル。
posted by 中神謙一 at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記