2016年05月30日

ふくろう。

ふくろうを見てきた。
背中なでたりしてきた。

F004.jpg
なんていうか、目力すげぇ。(笑)
これだけ近くでマジマジとみるのが初めてだったこともあって、結構気圧されます。


おとぎ話などでは森の長老、とか物知りなキャラクターだったり、
ギリシャ神話では知恵の女神アテナの使いだったりで、物静かなイメージがあるけれど、
爪などを見るとやっぱりがっつりと猛禽類。
夜間の生態系ピラミッドの、トップクラスの1種であることを思い出させる。


今では「不苦労」「福老」なんて縁起物にもなっているけど、
昔は夜に物悲しく鳴くことから、不吉な鳥と思われていたり、
かつて梟は母親を食べて成長すると考えられていた為「不孝鳥」とも呼ばれていたとか。


なんというか、知性を感じる目をしてる。
人間みたいに正面にきてるからかな…。
「知性を持っている」と感じる、人間以外の者に、時折恐怖を感じるんですが……ボクだけだろうか。
でも、なんか好きな鳥。

F003.jpg
ハリー・ポッターに出てくるのは、この雄のタイプらしい。
このこは雌。
雄は成長すると真っ白になるが、雌には模様がでるのだとか。


結構ライトが強くあたってて、夜行性のフクロウにはまぶしくないのかな?と思ってたら、こいつはずいぶんまぶしそうだった。ボクもまぶしかった。夜行性つながりで。

5月ももう終わるね。
posted by 中神謙一 at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年05月24日

見たかったもの、見せたかったもの。

kanban02.jpg
先日の話ですが、チームラボ、見てきました。
ひらパーでやってるやつ。
01.jpg
東京でやってた(やってたよね?)時は行きたかったけどいけなかったのが、近くでやってたのです。
午前中だったし、時間帯がよかったのだろう、人が少ない!
一つ一つをゆっくり見れてよかった。
same.jpg
塗り絵に書いた魚を泳がせたりもしてあそびました。

中で(フラッシュなしで)撮影もOKだったので、動画でとっている人もいました。
動いているのでね。
それもあって、ゆっくり見れるのはとてもよかったんだけど、
hana.jpg
この咲いては消え、また咲いていく花の部屋にずいぶん長い時間いた気がする。
何組かの人が来て、見て、出て行った。

見たかった景色。
見せたかった景色。



ずっとやりたいと思ってる作品の一つに、このチームラボの作るイメージの、すごく合うものがあって、初めてその催しを知ったときから、これ、見たいと思ってた。

そのお話は古典なんだけど、湖の妖精のお話しです。
いつか。
posted by 中神謙一 at 22:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年05月20日

余裕。

仕事してる時、もちろん全力だったりいっぱいいっぱいになったりもするんだけれど、そこには余裕が必要だって思ってる。
80%の力で100%の成果を――って、中々そう上手くはいかないけれど。

舞台とかライブとか講演とか。
生ものは特にそうで、どこかに余裕がないと、トラブルに対応できないし、トラブる、と思う。
それはいわゆる「余裕こいてる」わけじゃなく、その余裕分の力で120%を目指すのだ。

それがボクの信条だったりスタンスだったりするんだけど、
ずっと100%の夢中、没頭、陶酔に強いあこがれを抱いている。求めている。

だから今、日常ではあまり余裕というのはいらない。
欲しくない。ずっと何かに没頭していたい。そんな風に思う。


本日発表になりました。
ABC朝日放送の65周年記念の企画「才能発掘ABC E!プロジェクト」。
この企画で、ボクの書いた小編戯曲「座敷おやじ」が優秀賞3本の一つとして選ばれました。

今回募集された脚本のテーマは「記念日」、
その内容は『家族で楽しめるコメディ』であること。

そういう条件だったこともあって――「座敷おやじ」という物語は、SE・TSU・NAではまずやらないタイプの本になりました。
というか、ホームコメディ(になってるかはわからないけど、そういうつもりで書いたんだ)とか、初めて書いた。
タイトルもボクの本ぽくない。
でも他に思いつかなかった。

この本はまずテレビドラマとして秋に放映されます。
(映像化された優秀賞3本の中で、最優秀賞に選ばれたものは舞台化します)

この脚本は、選ばれたら映像→舞台という流れが決まっていたこともあって、それも意識した本になっていると思う。そしてそういう「余裕」を入れて書いた本だった。
その部分が、役者や演出で膨らむ余地だったりもすると思う。
そこが映像化された時、見てくれた人にどんな風に伝わるんだろうって楽しみにしている。

またお知らせします。
ぜひ見てくださいね。
posted by 中神謙一 at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年05月11日

おとぎばなし。

雨上がり、雲の隙間から顔を出した太陽を見た。
迷子だった太陽に、久しぶりに会ったみたいな気がした。
初夏の太陽みたいなレモンのオイルパスタを食べたことを思い出して、一人でクスリとなった。
IMG_0038.JPG

StageLABO.04で上演した台本「妖精チャックと迷子の太陽」を、
脚本ではなく物語に書き直している。
上演の際にはコドモたちが、劇中の効果音を奏で、演じていた物語を、今度は読み物の形にしている。

読み返しながら、ああ、こんな話だっけ、とか思いながら、削ったり足したり。


舞台でやる時には、ある程度の長さであったり、参加者の人数であったり、
いろんな要素を考慮して作っていた部分もあるし、
実際に上演してみて、もっとこうしたいな、とか、
ああしたいなっていう部分も出てきたし。

この物語は後に「妖精チャックと星の舟」という続編につながり――
それは枚方こどもミュージカル「Flower」という劇中での小道具として登場したし、
一説を引用したし、泥縄的にブログでも連載した。
さらに「妖精チャックとクリスマスプディング」、
「妖精チャックとお化けカボチャ」というお話にもなった。
でも、最初のこの「迷子の太陽」は脚本形式しかなくて、
ちょっとした思い付きがあって、今回書き直そうと思った。
考えていたより迷う作業だけれど。

どうやらボクは、アレンジとかが苦手(薄々はわかってたけど)で、作ったら、あとはもう……みたいなところがあるんだな。本当、時には自分の書いた物を、他人の書いた物のようだとすら思う。

学校のテストで、作者の意図を答えよ、なんて問題を出されてもきっとわからないと思う。
(大体あの問題に一体どれくらいの意味があるのだろう?)


人には向き不向きがある。
ボクには生み出すことはできても、育てることはできないんだな、と思う。


そんなわけで、今、おとぎ話のような物語に取り組んでいる。
文学、小説、絵本、漫画、映画、アニメだってなんだって、
それにしかない魅力や効果・効能みたいなものがある。
おとぎ話にももちろんそれがあるのだ。


次は「余裕」のこと。
posted by 中神謙一 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年05月07日

意味、とか。

いくつかの企画にスタッフとして関わらせてもらって、
初めてやってみることや、新しく学んだことなんかがたくさんあった。
規模や形によって、企画から発表、実施までに時間がかかったり、
順調に見えていたのに企業や行政側との調整にトラブルが発生して頓挫するものもある。

誰かが悪い時もあるし、
誰も悪くない時もある。

その中で、改めて物事の意味というのを考えたりした。

真の芸術に評価は必要ない、なんてことを言う。
でもボクはそうだろうかって思う。
もちろんそういう崇高な(それがそうかはわかんないけど)想いや思想、突き動かされている衝動というものにしたがって何かをしている人もいるんだと思うんだけど。
それでもボクはそうだろうかって思う。

評価は必要だ。
良い評価でも悪い評価であっても。
それはそこにあることの意味だろう。
何かひとつでも、
誰か一人でも、
そこに意味を見出してくれれば、存在していられるんじゃないかと考えていたことがあった。
ずいぶん昔の話だ。
もちろん、仕事としては、一人だけにしか届かない意味では成立しないのだけど、
気持ちとしては今でもそう思う。

* * * * * *

説明することの意味ってなんなんだろう、と思う。

例えば――この絵にはこういう意味があるんです、こういう意図で描いたんです。
この作品はこれこれこういうものを表現したくて作ったのです。この形はこれを表現しているんです。
そんな風に説明されると、「ふむふむなるほど」ってわかったような気になっちゃうんだけど、
なんだかそれもまた少し違う気がする。
ボクもしちゃったりするんだけど。

近づいた分だけ離れてしまったような気分になる。
作品に近づいた分だけ、自分から離れてしまったような気がする。
意味というのは、自分で手に入れるものだ。
それが価値を見出すことでもあるのだ、と思う。
見て、触って、美しいとか素晴らしいとか楽しいとか、
そう感じる部分を大事にしたいって思う。
時に醜い、ということが価値であるときもあるだろう。
それを好きだと思うこともある。

ともかく、ボクが好きだと思っている、そこに意味があるんじゃないか。
そう考えている。
他の人に無意味でも。

人の数だけ解釈や感想があって、そこには本当の意味での優劣なんてなくて、
ただその人がそれをどう思ったか、好きか嫌いかでしかなくて、
それは本当にあやふやな感覚で、明日には好きが嫌いになって――あるいはその逆だって――ありえることだと思っている。

ボクたちはそういうふわふわしたところで生きている。

まぁ、それでも、悔しかったり、もっと――と求めてしまうのだけど。


* * * * * *

あまり解説が必要なものって好きじゃない。
作品に対して、オフィシャルに解説をするのも好きじゃない。
そういうものは、作り手側の意識の中で共有していればいいんじゃないか、と思う。
むしろそっちは必要で。

もちろん、そういう解説が、すとんと自分の中にハマって、感覚が深まる時もあるんだけど。
たまに解説が先にある場合があって・・・そういいうのは、こういう風に見てくださいね、こういう意味で作りましたよって誘導されているような気がしてしまう。

まぁ、ひねくれているだけかもしれないけどね。

* * * * * *

できるなら解説や説明ではなく、そっと個人的に、こんな風なものを作りたくて、こんなことがしたくてやってみたんだ、なんて話したり、どうだった?君はどんな風に感じた?なんて感想を聞いたりしてみたい。

ごく、個人的に。

そう、夜の手前にみた綺麗な群青色の空の色、
雨上がりに見た夕焼けの美しさとかを、
そっと伝えて、その感想を聞いたりしたい。
共有したい。
そこにはすごく意味があって、価値があった。
ごく個人的に。


久しぶりの更新、なんだか長々と書いてしまったな。
次はおとぎばなし、のこと。
posted by 中神謙一 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記