2015年05月31日

物語る時

望む、望まないにかかわらず、物語は生まれ続ける。

それがあなたにとって良いものであるかは別として。
それをボクが書きたいと思うかは別にして。


物語る時、ボクは一つのただの機械であればいいのに、と思う。
己はなく、躊躇いも逡巡もなく、ただ滔々と物語る一つの機械、あるいは器官であれればいいのに、と思う。



例えばそれは。
靄のように、あるいは雲のようにゆらゆらとしている物語を、
目に見える形に織り上げていくような作業だったりする。
織り上げていく時に、自分の心の動きや想い、その時々のコンディションなんかが一緒に織り込まれていく時がある。哀しい物語に織り込まれれば、身を切るような痛みを感じるし、恐怖する物語ならば、息が出来ないほど苦しい重さを感じる。

例えばそれは。
どこか遠い貯水池から強制的に送られてくる水のように、
自分の中の蛇口からあふれ出してくる物だったりする。
そしてその蛇口を捻って流れを止めることは、ボク自身には出来ない。
ただ、溢れてくる水を、速やかに、濁らさずにかきだしてやらねばならない。
休む間もなく。溺れてしまわないように。
冷たい水が手足を凍えさせ、青紫に染めていくとしても。
その指先の震えが、水を零してしまうことを恐れながらも。

物語る、というのはそういうものなのだ。
根本的には変わらない。
ボクはただ、そこにあるものを少しだけ違う形にしているだけだ。
そこに己はない方がいいなじゃないかとずっと思っている。
そこにボクが混ざってしまうことが―いいことなのか、迷ってしまう。

それでもまだ、ボクは物語を書いている。
誰かに届けるような気持ちになっている。
誰かに届いているかはわからないけれど。

ボクが語る物語を、いつかこの世界のどこかで、誰かが。
そしてあなたが読んでくれる日がくるといいのだけれど。


posted by 中神謙一 at 10:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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