2016年06月13日

カタチ、の連想。

色んな形のこと。
角度や色や明かりや、その時の気持ちで見え方も全然変わって見える。
美しいカタチを探す。
美しいと思う瞬間を探して、その瞬間と瞬間をつなぐ。
醜悪さも含めて、つなぐ。
静止したカタチが動きに変わる。

hand.jpg
ボクはよく、自分の手を見る。
天井にむけて伸ばして、ゆらゆらと動かしてみたりする。
癖みたいなものだけど、
見ているとなんだか不思議な気分になる。
そうやって自分のイメージするカタチを探したりする。


先日、汗だくになりながらイメージに重ならない動きを追いかけて砂にまみれて。
ふと見上げると低い空に柔らかそうな三日月が浮かんでいた。
不細工なその様を見られていたような気分になって、何だか照れ臭くなった。


三日月は欠けたカタチの美しさだと思う。
ずっと昔、新円みたいな美しさにあこがれて、
そうあろうと思ったことがあって、
でも実際のところはひどく歪な自分がいて、
その歪みや欠けた部分を認めたくなかった。
今は――特に、その欠けた部分のことを考えたりする。
三日月と、欠けたその部分のことを考えたりする。


欠落の存在。
あるいは存在の欠落。
欠けた部分はいつか埋まって新円になって、きれいなものになるのか。
欠けているからこそ美しいと思えるのか。

いまだわからないけど。
posted by 中神謙一 at 02:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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