2017年04月22日

Winding road

ああ、曲がりくねった道だ。

まったく、もう、簡単にいきやしない。

手ごわいカーブが続いている。

その先に道があるかなんてなんの保障もないけれど、
それでもハンドルを握るのも、
アクセルを踏み込んでるのも自分自身だ。

嫌ならブレーキを踏めばいいだけの話で、
それをしないのはつまりはやっぱりそういうことなんだ。

このカーブの向こうにはどんな景色があるんだろうな。


さあ、アクセル踏み込んでいきましょう。
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2017年04月20日

謎々。

謎がある。
自分的にはとても理解しがたい謎で。
しばらく考えていたけれど、どうにも理解しがたいものなので、
ちょいと棚上げしておくことにする。

ある種の謎は、風習や国民性や宗教観のようなもので、根本的な部分で理解できないものがある。
異なる血液のように、無理に混ぜれば、輸血したものは死に至ることもある。
極端に聞こえるかもしれないけど。
かと思ったら、時間がたつとすんなり理解できたり受け入れられたりもする。
それを人は大人になった、とか丸くなった、とかいったりもするけど。

謎、の話。

ちょっとした謎々を思いつきました。
これと、昔思いついたネタをいれて、
ミステリーというか、謎解きものをまとめました。

というのがしばらく前のこと。

ちょっとバタバタしていたのですけど、
再びちょこちょこと書こうかな、と。

お客様参加型ミステリー、とか。

今、脱出ゲームとかも流行っているよね。
昨年、東京に言った時、そういう企画をされている会社のスタッフさんとお話しさせてもらって、
ちょっとワクワクしたし、今度実際に行ってみようとも思っている。

では謎々です。

「そこにあるのに、そこにない。となりにいるのに、となりにいない。
黒でなく白でない。それはだぁれ?」


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2017年04月18日

書きます。

6月の稽古が始まっています。
語り部たちの夜-空-。
どろっどろのお話し。
稽古が進んでいます。
(詳しくはケイコバブログ http://stn-diary.sblo.jp/ で)

そんな中ですが、書きます。

秋に上演します「座敷おやじ」の舞台上演用台本。
心のバランスをとるように、なんて思っていたけれど、
書き直す前に読み返してみて、奇しくも――結局同じく「再生」の物語なんだと気づいた。

先日もちょっとその打合せをしていて、
当たり前だけれど同時進行・同時並行で進む部分があって、
その為には当たり前ですが台本がいるのだ。

と、いうわけで、書きます。
まずはプロットの練り直し。
ドラマ化の時の決定稿を読み直したり。
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2017年04月15日

ときめき

IMG_5060.JPG
踊る桜の花弁を見る。

いつになっても、ときめくんだな、って驚く。

本番前の様な高揚とか、どきどきとか、同時に恐れ、とか。
そういうものを感じるって、日常では中々ないものだ。

そうか、これは日常じゃないものな、
特別だものな。
もしも永遠というものがあるのなら、
きっとそれがそうなんだろうと思う。

そういうものを感じられる自分の心に、
ちょっと安心をする。
うれしくおもう。
そして、それを与えてくれることに今も感謝している。
例え息苦しくても。

苦痛というのは大きな快感で、
快感とは小さな苦痛だって言ってたのはだれだっけ。
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2017年04月13日

やることリストとか。

久しぶりにボンドの匂いかいだり、
作業の段取り考えたり、倉庫の資材を見てみたり。

やること・やりたいこと・やりたくないこと。
やらなきゃいけないこと・やらなくていいこと。

そんな風にあっさりさっぱり分けられたら、色々物事はシンプルなんだけど。

やりたくなくてもやらなきゃいけないこともあるし、
やりたくても今はできない、あるいはしちゃいけないこともあったりする。
手を動かさなきゃ進なまい仕事、
頭を動かさなきゃ進まない仕事、
その時その時でやりたいことも違ったり、優先順位もちがったりで中々難しい。

yarukoto.jpg
そして今は特設サイトの打合せやら、確認やら。
やりたいカタチと出来るカタチをすり合わせる。
考える。脳みそがぎゅーってなる。



ああ、やることリストの一番上に、掃除って書きたい。
部屋が散らかっている。

あ、これからの季節、このボトルが作業中に中々よい感じです。
埃もはいんないし。
さあ、アイスオレ飲みながら、稽古の復習と予習。

=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・
語り部たちの夜-空-チケット一般発売は4/15(土)10:00amから
特設サイトももうすぐオープンです。
http://e-setsuna.com/kataribe_ku/

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2017年04月11日

さくら

桜が好きです。
朝の桜が一番美しいと桜守のご老人が言っていた。
朝露に濡れて、それが一番美しいと。

見たことがないけれど、想像してみる。
ボクは夜桜も好きです。
そして、散っている時の様が特に好きです。

花霞に紛れて溶けて
風に霧散する自分の姿を毎年想像する。

四月になりましたね。
大切な月です。

駅までの道にいくつか桜の咲いている場所があって、
この時期はそこを選んで歩いたりする。
昨夜は風も雨も強かったから、どうかなと思っていたけれど、
まだ花は残っていて、もう少し咲いていてくれそう。

sakura.jpg
夜の桜は、何だかちょっと怪しくて色っぽい。
花の中には、いつ見てもエロティックで官能的に思えるものもあるけれど、
桜は――昼間はそう思わないのに――夜見るといつもそう思う。


語り部たちの夜-空-で、ちょっとそんな感じの台詞あったな。
チケット一般発売は4/15(土)10:00amから!(←宣伝)
http://e-setsuna.com/kataribe_ku/



花弁をね、集めているんです。
だからもう少し、咲いて、散ってほしい。
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2017年04月08日

甘露雨

今日はお釈迦様の誕生日。
キリストの誕生日に比べると、
世間的な盛り上がりには欠ける気がするけれど。

朝から雨で、桜散らし、花散らしの雨なんて言葉がテレビから聞こえていた。

けれど釈迦が生まれた時、
それを言祝ぎ、九頭竜が天から甘露雨を降らせたという話もある。
そう思うと、これはその甘露雨かも―なんて思ったりもする。

草木や花に、春の柔らかい雨がサタサタを降りそそぐところを想像する。
それは冷たい雨ではなく、あくまで優しく柔らかい慈雨なのだ。

ぼんやりとそういうのを夢想して、
それから現実世界に目を向ける。
本日もまいります。


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2017年04月06日

空っぽ

昨日、語り部たちの夜-空-の稽古がスタート。

昨日今日の二日間はまずはアンサンブル稽古で、
台本読みはなく、まずは動きとかイメージとか、
今回ボクがやりたかったこと、やりたいことなんかを、稽古前に確認作業――みたいなことをする日。

その辺りのことは、ケイコバブログをチェック!
まもなく更新されるはず!http://stn-diary.sblo.jp/


で、空っぽ、のこと。
今回の舞台は空っぽの男の心のお話し。
ヒリヒリと痛いほど沁みるセリフとかが個人的にはあるんだけれど、
その「空っぽ」を描くために、その中身は濃密に濃密に詰め込んでいく必要があるって思ってて、
その中身はみっちりと詰まっているからこそ、
観客はそこに何も入っていないんだと錯覚する、そんなことを考えた。
ちょっとトリックアートみたいな、そんな感じ。


空っぽが埋まったら、きっと新しい空っぽが待っているのだけれど、
ボクはその空っぽさ、というか空虚さというのがそんなに嫌いでもなくて。

その空虚さを探す旅の始まり。

さあ、今日も稽古へ。
posted by 中神謙一 at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年04月04日

美味しい物を食べよう。

豪華な物とか、高価な物とかってわけでなく、
美味しい物を食べたい、と思う。

割と健啖家だと自分のことを思っているし、
ムラはあるけれど、そこそこ量も食べる方だと思う。
でも同じものをたくさん食べ続けるのがちょっと苦手で、
この時はちょっと後半、飽きてしまったけれど。
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美味しい物を、美味しいと思えるように食べたい、と思う。
環境や体調や、その時、どんな気分か、誰と食べるか。
そういうものでボクの舌はたやすく変わってしまう。

舌は心につながっているなあ、と思うのです。
だから、美味しい物を美味しいと思えるように食べよう、と思う。

いつか誰かを連れていきたいと思うお店はいいお店だよね。
posted by 中神謙一 at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年04月01日

あなたのことが嫌いです。

一年前にもそう書いたのを憶えている。
頭の中、眠るダナエが見る夢を夢想しながら、
同じ言葉を呟いてみる。

「あなたのことが嫌いです」

たくさんの愉快な嘘と、
たくさんの不快な嘘と、
たくさんの愉快な本当と、
たくさんの不快な本当があふれているけれど、
虚構を生業にしている一人として、
どんな言葉を吐けるだろうと考える。

いい文句が浮かばない。
posted by 中神謙一 at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月31日

プライドと傲慢と。

ともすればプライドの高さは傲慢さにつながったり。
結局は置き場所なんだろう、と思う。

気にならない人はならないだろうし、
気になる人には気になることやものがある。

プライドというものの置き場所は、きっとそういうものなんだろう。
気位、といわれたり、気高さ、といわれたり、
同じものでも色んな見え方があるだろうし。

ただ――ボクの思うプライドって、こういうものっていう確固としたものがある。
そう思ってることが傲慢だと思われても、
まぁそれはそれで仕方ないや、と思えるくらいに。

posted by 中神謙一 at 02:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月29日

声のこと。

ここ最近見たいくつかの舞台で、改めて「声」のことを考えた。
役者の出す一番大きな音は声だ。

その音色とか響きとか強弱とか、ボリュームもそうだけど、そういうバランス。
観る側の主観が多分に入るけれど、
見た目のイメージ、役柄のイメージと会っているか、とか。
単純にいい声、とは別のことで、この調節というか調整というか、
そういうものもやっぱり演出の範疇なんだなあと改めて思ったりした。

このセリフを言ってほしい声、というものもあるし、
好きな役者さんたちだけど、この人たちが共演すると声が喧嘩するな…と感じる時もある。

何オクターブも声を出せる人もいるし、
七色の声を持つと呼ばれる人もいる。

ボクにはもちろんそんな声はないけれど、
そういう声のふり幅とか意識しよう、と思った。
それは器用になるということではなく、
ちゃんと自分の声を意識する、自分の声を持つ、という意味で。

メンテナンスをしている。
新しい方法を試してみる。
そして新しい声があることにも気づいたりする。
posted by 中神謙一 at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月25日

説明書

あまり説明書を読むタイプではないのだけれど、
最近の機器とか、説明書が本当に必要最低限しかついていなかったりして、
さすがにもうちょっと説明が欲しい、と思う時がある。

サイトでチェックしてってことなんだろうけど。
2017-03-25 11.50.13.jpg
新しいカメラをようやく触っています。
ふむふむ、なるほど。

これ、共有するには相手にもアプリを入れてもらわないと見れないんだろうか。
あ、facebookでなら共有できるのか。
とか、そういうのを試している。

機械自体の使い方、というより、その設定でどこまでどうなるか…みたいな確認がしたい。

説明書って、あっても読まないのにね。
ないとちょっと不安になっちゃいますね。

ちょっと前に血液型ごとでの取り扱い説明書、みたいな本が流行ったことがあしましたね。
同じような感じなんだけど、ひとりひとりの「説明書」がある世界の短いプロットを書いたことがあります。ちょっと星新一的な。
世にも奇妙な物語風なお話になった。

人の心の説明書。

本当に人の心は理解困難同感不能だったりするから、
あったら便利だろうなと思うんですけど、
嫌な世の中になりそうでもあるね。
posted by 中神謙一 at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月24日

テーマソング

台本を書く時に、勝手にオープニングののテーマソングを決めて書いたりする。
OPの動画のイメージとかも想像する。
特に【sideA】の場合。
漫画脳なんで、それはもう、アニメみたいなやつを想像する。

時々脳みそが暴走して、
まだまだ上演が先の物語のOPを考えたりする。
そういうのって、みんなはしないんだろうか。
すごく楽しいしわくわくする。

【sideB】の時はどうか?
不思議とオープニングではなく、エンディング曲だったりする。
でも、これは書いている時だけなので、皆さんにお披露目されることはほぼないんだよね。
演出脳とはまた全然違う部分で書いているのだろうな、って思う。
posted by 中神謙一 at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月21日

中身。

2017-03-21.jpg
このパンさ、チョコパンなんだよ。
アンパンだと思わないですか。
これ、もらったら。
アンパンだと思うよね?


人の本質とか、心の奥とか。
そういうのって、外からだけじゃわからない。
聖者のようにみえても、その中身はわからない。
逆もそう。

誰にでも、深い深いところがあって、
そこは時に自分自身ですら気づかない「何か」だったりする。

意図して嘘をつき、それを隠している時もあるだろう。
無意識にそれを隠している時もあるだろう。
意地とか見栄とかプライドとか沽券だったり立場だったり、保身だったり、そういうものの為だったりもするかもしれない。

とにかく、必ずしも、中身というのは見に見えるものではないということだ。
そのはらわたを割ってみるまでは。

それが悪いというんじゃなくて、
そういうものなのだと思う、ということだ。

もともと語り部たちの夜という作品は、そういう人間のこころの奥の欲望とか懊悩みたいなものを書いていたのだけど、今回の「空」は、またちょっと今までと違う感じの本になった。
昨年、劇団での公演を打たなかったことや、その間に書いていた違うものの影響があるんだと思う。
とにかく、そういう、はらわたの奥、を覗き見る、そんな物語。

そう、油断しちゃいけないよ。
ボクもあなたも。
posted by 中神謙一 at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月18日

知りたい。

知らないものを見たり体験するというのは、
それを楽しめる精神状態でなければ億劫で退屈でしんどいものだ。
だから、それを楽しいと思える人間でありたい、と思う。

ボクは無知の知、というのはぴんと来なくて、
知は力、というスタンスだ。
知りたい。
知らないものを。
あがきたい。
もっとできることがあるはずだと思う。
そのための力を。
出来なくても、知りたいと思う。
そのために、心はいつもまっさらにしておきたい。

腹の中はどれだけ黒くてもいいから、なんて思うんだ。
posted by 中神謙一 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月16日

カタチ

好きなカタチ。

それが一般的にどうかはわからないけれど、
自分の「好きなカタチ」というのがある。

例えば、眼、耳、鼻、唇。

それ以外でも、ある種の曲線がつくる美しさで、
ああ、好きだなあって感じるカタチがある。

そういうのに、弱い。
触れたくなってしまう。

あなたにはありませんか、そういう衝動的な感覚。
魅力を感じるもの、とか。

そんな書き方すると、何だか変態チックな感じですけど。

変態っていえば。
昨夜顔合わせで読み合せた「語り部たちの夜-空-」は変態ばっかりでてくる。
ゆがんでる、こじれた男ばっかりだ、と聞いていて思った。
濃厚になるよ、きっと。
posted by 中神謙一 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月14日

ものがたる。

物語を書いているときのこと。
ある程度の結末やイメージはもちろんあって書いているのだけれど、
書いているうちのその細部が鮮明になっていく。
まぁこれはよくあることだし、
みんなそうじゃないかと思う。

ただ、時々、「え?そうだったの?」と思うようなエピソードというか、
キャラクターのバックボーンみたいなものが語られる時があって、
書いている自分で、なるほどなぁと思う時がある。
だからコイツ、そんななんだ…という納得というか、説得力というか、
そういうものを感じる時がある。

そういう時、ボクは自分がラジオみたいに、
どこかの誰かが発信した物語をたまたま受信して、
書き起こしているだけじゃないだろうか、って考えたりする。
たんなる自動書記のロボットになったような気分になる。

これは誰が考えた物語なんだろう?
ものがたる時、ボクはどこにいるんだろう、なんてことを考えてしまう。

今回書いた「語り部たちの夜-空-」。
このお話でもいくつかそういうシーンがあった。
そしてそういうシーンはとても鮮烈だったりする。

明日、顔合わせです。
もうじきNEWSも更新予定です。お楽しみにっ!
posted by 中神謙一 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月11日

陽気なやつでも聞こうよ。

「陽気なやつでも聞こうよ。」
そう言って、彼はレコードを手に取る。
今までこのブログでも書いた、ボクが好きな小説の、ワンシーン。
傷つき、すり減り、色んなものを失った友人に、
彼はそう声をかける。

ボクはこの日になると、なぜかこのセリフを思い出す。

「陽気なやつでも聞こうよ。」

なんてタフでやさしいセリフだろう。
音楽と言葉の力。
そんなものでケガが治るわけでもない。
空腹が満たされるわけでもない。
雨露がしのげるわけでもない。
それでも、その無形の響きに力があるとボクは思うし、
そうであってほしいと願う。

その響きが、遠く広く届きますように。
posted by 中神謙一 at 02:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年03月09日

嫌悪。

久しぶりに人のことを「え?」って思って嫌いだなーって思って。

ボクは自分でも、まぁ心が狭いほうだと思いますが、
井戸のように深かったりするので、嫌いになっても、
狭いなりに心の奥底に沈めておくことが出来たりする。

ああ、自分としては無しだけど、まあそういう人もいるのだな、と上から石を落として井戸の底に沈めておくことが出来る。

ただ、ちょっと違って、なんかもやもやするなーって思う部分があって、
それが何なんだろうと考えるうちに、ああ、そうかと思い至った。
その嫌いには、拒否、拒絶、色んな感情とともに、憐憫みたいなものがあった。
どこか憐れんでいる自分がいた。

「自分を憐れむな。自分を憐れめば人生は終わりなき悪夢だよ。」と太宰治は言った。

人にやさしくするのは、出来るのは、とても素晴らしいことだけれど、
ボクの中には、その時、憐れみと同情とか侮蔑とか、そこから派生する醜い安堵みたいなものがあった。
それは優しさ厳しさとは全く異なるものだ。

そういう自分を嫌悪する。
そういう風に考えていた自分を醜いなあと思う。


それでもやっぱり、そうできないくらい嫌いというものや人もあって、
そういう感情は、沈めておいてもヘドロのように沈殿し、
井戸の水を濁らせていくことになっちゃうので、
受け入れたりはしないようにしているのだけれど。

それはそれでいいのだ。
好きは好きだし、嫌いは嫌いでいい。
そのパラメーターが変わることもあるだろうし、それはそういうものなのだ。
ただ、あの時の自分に感じた嫌悪感は、忘れずにいたいと思う。
posted by 中神謙一 at 12:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記